1.中国の生産責任制とは?
”生産責任制"は、それまで中国で行われていた"人民公社"という農業のシステムに変わって、1980年代に新しく取り入れられた制度です。
この生産責任制の導入の結果、中国の農業は大きく変化することになりました。
それではまず、人民公社の説明から入りましょう。
人民公社は、3000~6000戸の農家が集まって、共同ではたらいて生産を行うというもので集団農場とも呼ばれていました。
この中には学校や商店、小さな工場もあり、まさに村という感じです。
中国のような社会主義の農業生産は、目標が決められて、それを達成するために共同ではたらくというシステムです。
実際には20~50戸ぐらいの農家のグループで共同作業をして、みんな同じようにはたらき同じ報酬をもらうという、平等社会が社会主義の理想だったんですね。
ところが……
実態としては、多くの人がいるから能力にも差があるし、労働の量や質にも差が出ます。
だけど、もらえる報酬はみんな同じ。
そうなってくると、だんだんと生産意欲がなくなってきますよね。
だから当然の結果として、中国の農業生産も伸びなかったのです。
そこで、なんとか農民の生産意欲を向上させようと考え出されたのが、この生産責任制という制度なんです。
この制度では、農家に対して今までと同様に目標、すなわちノルマを課します。
農家はそのノルマを果たす責任があります。だから生産責任制という名前なんですね。
ここまでは人民公社と同じような感じですが、違いはここからです。(ここからが重要!)
農家はノルマをおさめて責任を果たすと、それ以外に自由に作物をつくって、自由に売ってもよいことになったのです。
やった分だけお金がもらえるので、農家の生産意欲は高まりました。
その結果、温暖な地方では冬もふくめて年中野菜をつくったり、鶏を飼育して卵を生産したりと、意欲のある人はどんどん生産を増やして、収入も増えました。
意欲に加えて、気候や土地の違いや、大都市のような市場が近くにあるかどうかなど、条件によっても生産量には差が出てきます。
こうして農民の間では所得の差が拡大していきました。
しかし結果としては、中国全体の農業生産は大きく伸び、米や小麦といった主食だけでなく、いろいろな作物が世界一や世界上位の生産高をあげるようになり、中国は世界一の農業大国になりました。
生産責任制の効果は、このようにとても大きかったのです。
2.万元戸の登場
1980年代に始まった生産責任制によって、収入を増やす農家が多く出てきました。
中には年収が1万元を超えるような万元戸(まんげんこ)と呼ばれる富裕な農家も出現しました。
”元”というのは中国の通貨の単位ですね。
戸は家のことで、この場合は農家にあたります。
年収が1万元の農家、それで万元戸ということです。
当時の中国での平均年収は約400元。
そこから考えると、1万元というのはすごい年収だったということがわかりますね。
万元戸というのは、当時の中国では富裕層の代名詞のような言葉だったのです。
万元戸の農家では、家を建て直したり、テレビや車を買ったりと大きく生活が変化しました。
日本では当たり前のことが、当時の中国ではすごいことだったのです。
その後、さらに農業生産はどんどんと伸びていきます。
また工業でも同じように生産のシステムが変わって、中国は大きく経済発展をとげていきます。
そして今では国全体の国民総所得で、日本を抜いてアメリカと争う経済大国になっているのです。
ですので、現在では年収1万元というのは、この収入ではとても厳しい……という感じです。
すなわち、1980年代には富裕層の代名詞だった万元戸という言葉は、今や中国では死語になっています。
ただし、条件の厳しい内陸部の農村地帯では貧農層も多く、中国国内の経済格差はとても大きなものになっているということも、おさえておきましょう。
3.まとめ
今回は中国における生産責任制の導入と、それにともなって誕生した万元戸についてでした。
中国の農業は、この生産責任制が始まったことで大きな変化が起こったのです。
生産意欲が向上したため、いろいろな作物の生産が増えて、世界一の農業大国になりました。
そしてこの制度によって、自由に作物をつくったり、売ったりすることができるようになったため、高収入をあげる裕福な農家も数多く出現したのです。
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